前職は・・・
私は、大学院修了後、エンジニアとして製鉄所の溶鉱炉で働いていました。その頃は、もちろんタクシーなんて考えたこともありませんでした。街にどれくらいのタクシーがあって、どんな状態なのかもちろん気になったこともありません。それは、鉄製品を使っている人が、溶鉱炉や転炉、圧延機などを全く想像しないのと同じです。自宅から会社に行くまでの間に、「1901」という初代の高炉のモニュメントがあります。それを見るたびに、高炉のドラマを想像しています。高炉は、中には何もない単純な構造で、単純だからこそ中をコントロールするのが難しく、ちょっと気分を害してしまうと製銑マンは戦争状態に突入します。近代的な現在でも、最後は人力と技と経験が頼りになります。いざという時の製銑マンは、食事も取らずに力を尽くします。そんな気性がとても好きでした。あの頃の仲間は今どうしているのだろうかと思い起こすこの頃です。最後に、タクシー乗務員にもたまにそんな気性の男気な人がいるとうれしくなります。
Posted by さだ at 2006年06月27日 22:35 │Comments(2)
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さださんの前職が製鉄マンとは知りませんでした。私は機会工学部出身ですが入社した会社(地元の製鐵関連会社)の技術開発部(研究所)の配属で製銑・製鋼担当だったので冶金と化学ばかり勉強してました。釜石以外の製鐵所は全部行ってます。今では鐵から離れて10年以上になります。
高炉では今でこそ高圧操業や操業技術の進歩、原料の調整技術の進歩で少しは良いのかも知れませんが昔は吹き抜けや片減り、たなつり・たな落ち等で苦労されたでしょうね!品質が悪いものをかなり型銑にされたりして(笑)
また出銑量が落ちないようや、トラブルでTPCやLD転炉の温度が下がらないようと大変でしょうね。八幡のTPCしか見た事が無いとき大分に初めて行ってTPCの大きさにビックリしました。
でも当時は溶銑予備処理で鋳床脱珪(酸化反応)からTPCでの脱硫(還元反応)他にも色々と製鐵所別にありましたね。用語だけでもTDS、ORP、KR、KIP等でしたか?
転炉では生産性確保でTap to Tapがうるさかったり、トランプエレメントを出さないようスクラップまで気を使ったり。今では技術開発でタンデッシュでの介在物が減ったりCCの曲率が小さくなったりしているのでしょうか?
最後は富津にいましたが単身赴任だったので退職して八幡に帰ってきました。今回は懐かしい話だったの長文となり申し訳有りませんでした。
Posted by ばばひで 2006年10月23日 12:58